2014年 09月 20日
その後月日は流れて
家でも外でも忙しくしていた10代。
すっかり手芸の時間は縮小され、たまに気が向くとピアスを作る程度になっていました。
転機は20代半ば。
もともと民族衣装が大好きだった私は今まで燻っていた手芸熱に火をつけてくれる人に出会いました。
その方はインドネシアのバティックを巻くのではなく、歩くたび、泳ぐ金魚のように揺れるスカートに仕立てていました。
滲み出る人柄の良さや、手作りの品々に惚れ込み、また私の手芸時間が再開したという訳です。
当時はミシンがなく、その方が手縫い派だったのも影響し、総手縫いで自分の服や小物を。
その後子供を授かり、子供服も作り始めました。
何を着せても許される可愛い時期(親馬鹿です)
手作り感たっぷり(おふざけもちょっとある)子供服を作ってはひとりニタニタしています。
それから今に至るまで、手芸を通じて知り合えた友人たちから刺激を受け、作る楽しみや、イベントに出てみようというきっかけなどなど、近くには居らずともいつも支えてもらっています。
すっかり手芸の時間は縮小され、たまに気が向くとピアスを作る程度になっていました。
転機は20代半ば。
もともと民族衣装が大好きだった私は今まで燻っていた手芸熱に火をつけてくれる人に出会いました。
その方はインドネシアのバティックを巻くのではなく、歩くたび、泳ぐ金魚のように揺れるスカートに仕立てていました。
滲み出る人柄の良さや、手作りの品々に惚れ込み、また私の手芸時間が再開したという訳です。
当時はミシンがなく、その方が手縫い派だったのも影響し、総手縫いで自分の服や小物を。
その後子供を授かり、子供服も作り始めました。
何を着せても許される可愛い時期(親馬鹿です)
手作り感たっぷり(おふざけもちょっとある)子供服を作ってはひとりニタニタしています。
それから今に至るまで、手芸を通じて知り合えた友人たちから刺激を受け、作る楽しみや、イベントに出てみようというきっかけなどなど、近くには居らずともいつも支えてもらっています。
by sunatohana
| 2014-09-20 12:01
| 〈砂と花〉自己紹介